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金田美穂

ま た 平 野 か

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1JAL(日本航空) ポルノ事件

私は日本航空(JAL)に抗議文を送った過程で、今までにJALが私にどんな卑劣な事をしたかをこの世に公開いたします。
全世界の人々を相手に営業をしているJAL航空社がソウルのカンナムにあるノボテル・アンバサダーホテルで3泊4日間泊る間、空き部屋には立派な武器を作っておいて、私が通う教会にまで数百人の組織を入り込ませ、信仰生活のできないようにいろんな手段を動員して教会を最悪の状態にし、私がやってる事ごとまたは私がしようとする事すべてを妨害し私を埋葬してきました。
7年間、24時間いつの時間にしても、決して1秒も逃すことなく私を監視し、あとをつけながら人々を繋がらせ知能的で隠密な方法を使い彼らに接近し、名誉毀損、人格冒涜、そして最終的には卑劣な方法で作っておいた武器を振る舞いながら私を孤立させ、脅迫してきました。
私の戸籍と身元調査はもちろん遠い親戚まで秘密裡に調査し、最先端装備と多くの人力を動員して「ごまめの歯ぎしり」がするようなことをやめませんでした。
JALの組織は私に自殺することを慫慂します。
わたしは自殺しません。
私が急に死んだり行方不明になったら、それはJAL私の仕業でありますので全世界の人々に今までのJALの行跡を知らせて下さい。
JAL事件がこんなに大きくなったのはJALが恥知らずであくどい事をやめることなくずっとやってきたからです。
JALが本人に、7年間という歳月の間に投資した物々しい人力と経費、、、
乗客を運んだ純益で充当したでしょうか?
JALに抗議手紙を送る人々に対するあのフルコース、、そして周りの人達まで人質として捕らえるためにいろんな事をするJAL、、、
とても多い文章をシリーズ形式にして、JALの奇想天外で卑劣な事をすべて公開します。

2<JALに呪いを!!>
その当時、私はJAL乗務員の心からの謝罪文なしには乗務員達の行為に対して理解も許すこともできなかった。
99年12月23日 JALの方から被害金150万ウォンでこの事を合意しましょうと言った時、私は乗務員の謝罪文なしにはこのお金は受け取られないと言った。
しかしJALは私をまるで「お金をもっともらおうと、、、」する人にしていった。
JALはホテルの職員としめし合わして武器をつくっておいて、この世の中にはこわい物のないように果敢に、私に横暴、脅迫、精神暴力を振り回してきた。
JALはますます得意絶頂になった。
ホテルの部屋にあった個人の所有品、彼氏の外見までJAL組織の人が掲示板に持ち出して何ヵ月もの間そのことを主題として世論を作っていった。
JAL組織らは、部屋に一緒に泊った男が、、、に絞っていった。
私の彼氏が受ける衝撃を懸念して持ち越していったが、結局は彼氏に知らせ、ホテルに知らせた。
JAL組織らが通信、インターネットで数年間やってきたノーハウを足掛かりに数千人の教人と牧会者の指導者らを抱き込んで入ってきた数百人のJALの使い者、関連者達と聖殿で準備しそしてスタート!それと同時に2004年の始めから終りまでずっと大乱が起きた事。
2005年5月24日 日本のサイトに文章を掲載しJAL組織がわたしの首を絞めた事。
JALは将来の設計図まで完璧に見通しながら「完全犯罪」を夢見た。
JALは抗議文を受けた初期にすぐ盗聴に取り掛かり、あとをつけならが卑劣な事を今まて続けている。
JALは必ず災難と呪いを味わうと思う。
日本では顧客(消費者)が抗議文を送り、不平を言ったら全ての企業がJAL(日本航空)のようにこんなに野卑な方法で対処するのかを聞いてみたい。
7年間JALを経験しながら、私は日本が怖くて歯ぎしりがする。

3<JALの首を絞めろという指示があったのか!!>
2005年5月24日 この日の昼インターネットカフェに行きJAL抗議書1、2を日本のサイトに掲載した。
そして20~30分歩いてサウナに行き、夜の9時30分に出て家に帰る途中後ろから誰か首を絞めてきたので、振り向いたら20代の見知らぬ男が左手には携帯電話を持って話しながら、右手で私の後ろ首を絞めながらついてくる。
私はすぐ身を引いて近くの横断歩道に立っていた知らない男に
(あの男が私のあとをついてきて私の首を絞めた。わたしはアンチJALホームページを持っている人だけど、家の外に出たらこんな人たちが7年目ついてきている。
110番に知らせて下さい。)と言ったら、首を絞めてきた男は逃げる所か泰然に私に近寄り目を怒らして私を見つめる。
卑劣なJAL!!!相手にできないJAL!!!

2005年3月3日 本人のホームページが日本のサイトに掲載されてからは国内通信、インターネットに、JAL組織らが本人を攻撃した文章がいきなり消える反面、JAL便利屋の人々が露骨的そして果敢に精神病を持っている人のようにわたしに接近する。

2005年3月 家の近くのバス停に立っていたらみすぼらしい格好の60代の男が私のそばを通り過ぎながら私を見つめ 「なんとか、、なんとか、、汚いまねをしたのか?」と言って泰然に歩いていく。
私は前の方は聞き取れず後ろの方だけ聞いた。
その男が精神異常なのかと思い消え去るまでずっと見ていたが、他の人には何事も言わず歩いて行った。
去年インターネットカフェに現れたが、JALの使い者と覚えている。
私を汚い女、紊乱な女にしていくのがJALの特徴である。
何日か過ぎた4月。40代後半の見知らぬ女が道で私を見掛けると満面にほほえみをたたえて雄々しく「功徳の多い顔ですね、、、月曜日にお会いしましょう。」と言って消える。

3日後、、見知らぬ40代の女がトイレの中までついてきて友だちが私に言った言葉をその場でオウムのように真似して、用も足さないまま泰然と出ていく。
私の友だちはびっくりして「なあ!あのおばさんなに?私の言った事をオウムみたいに真似するよ。」
JAL 本当に相手にできない。!!


4<JALの電話盗聴と怪電話始まる>
1999年6月20日 JALに1次日本語翻訳抗議書を送り(本人の住所、名前、電話番号記載)「JAL乗務員の謝罪文は送れない」という皮肉っている日本語返信をもらう。(99年6月29日)
2次韓国語抗議書(99年7月7日)送る。翻訳はあとで別途にしておいた。
JALの2次返信をもらう。1次は同じような内容(皮肉っている様子と謝罪文は送れないという内容)
99年7月5日 初めて変な電話がかかってきた。
20代の男性が「もしもし」「もしもし」と言って切ってしまう。
二日後からはベルが鳴って出たら私の声だけを聞いて切ってしまう。毎日、一日3~4回。
7月の中旬からは本格的に朝から深夜まで20代~40代の男女数名が一日5~10回ほど電話をかけ男の名前を言って代ってくれって言ったり主人に代ってくれっていうか、私の声だけを聞いて切ってしまう。
電話のベルで家の中が一日中うるさくなった。
この家に男(夫)がいてるのか、家族は何人なのか、一人暮らしなのかを知ろうとしてやったと思われる。

JALのLee(イー)部長と6月から通話をしていたが、Lee部長が私に 「電話を盗聴します。」と言った。
私はなんともなく聞いたが、ある日、急に盗聴されているという直感がきた。
怪電話を一日中かけるくらいだから、盗聴などできないものでもない。

私は99年8月に、他の地方に何カ所か電話をかけ
「明日の昼12時にM町J郵便局に行き、JALに送った抗議文を数十カ所に送る」と言った。

次の日、私は家で着ている服装のままその時間に M町J郵便局に行った。
人々は楽な服装で、手に郵便物を持って窓口に向かう人、、
切手を貼る人、、ユニフォームを着ている職員達まで、忙しい様子が一目に分かった。
私は大きな円型テーブルの前に立って数十通の黄色い書類封筒にステッカーを貼っていた。
しばらくしてから、頭をあげると私の真ん前に40代と見えるネクタイに背広を着た男の人が背広の上着を左手に掛け持って本人の手が動いている黄色い封筒をよく見ていたが、私と目が合った途端、目を受付の窓口の方にそらした。

何気なくステッカーを貼りながら、再び頭をあげたらその男がまた本人を見ていたが、その瞬間受付の窓口の方に目をそらす。
その男の目はきらきら光っていて目玉は鋭く動いている。
その男は一人で神経戦に没入している。
私は郵便物を受付た後、噴水の方の階段を下り、下に着いてから振り返って見たら、その男は私の後ろを息を切らしながら着いてきたが、私が振り返るとそれと同時に止って目線をそらして、何か深刻そうに考える。(違うよ、、この女はそんな文章(抗議文)を書いた女じゃない、、)
その男は気を取り直して再び私を見つめたが、また目線をそらして再び何かを深刻そうに考える。(違うよ、、この女、、飛行機も乗ったことなさそうな女だ、、)
間違っていると判断したのか、階段を急いで上がったが途中で止って再び私を振り返り、そして私に何か言おうとして近づこうとしたが(また、、違う)諦めたような表情をして急いで階段を上った。
その男の雰囲気がサービス業(JAL)に携わっている人のようだった。

99年9月16日 JALがある機関の手紙をもらってからソウルに来た。
朝鮮ホテルの喫茶店カウンターで、Lee部長を探したら実際に私を会わねばならない Lee部長は背を向けて座っていて、韓国人4名(男3 女1)は私を真正面に見れるように座っている。
Lee部長が連れてきたみすぼらしい身なりをしている韓国人達を対面した瞬間、解決士、便利屋の職員であるかも知れないと思った。
その韓国人4名は、あとの対話の席には参席しなかった。

5<地下鉄 私の隣に知らない30代 男>
9月にJALのLee部長に会ってからのことだった。
家から5分ほど歩いて地下鉄に乗った。
しばらくしてから、私の隣の席が空くとある男の人が来て座る。
しばらくしてから、この男はビニール袋からレコード盤を取りだしレコード盤の表面と文字が私の方からよく見えるように私の方に完全に向けてしきりに私を見つめる。
私があまり反応を見せなかったので、その男はそのレコード盤をもっと私の方に押し付ける。

私が下りるとこの男も一緒に下りて私のそばにつく。全然知らない男が、、
私は歩行を遅くしてこの男から離れた。
この男はゆっくり歩きながらしきりに振り返り、私を見る。
私は方向を変えて他のところへ行ってしまった。

私がその直前、知人に電話で「レコード盤購入が難しくなるから、あるレコード盤を買っておこう」と何回か話していた。
この男が私に見せたのが、私が買おうと言っていたそのレコード盤であった。

6<JALの怪電話 深夜1時~3時の間に電話をして泣く女>
99年7月5日から怪電話が始まり、そのレベルがどんどんひどくなっていき
99年10月24日 夜中の3時にベルが鳴った。
私が出た途端、30才前後の知らない女性が死にかかっている声と
恐ろしい雰囲気で「もしもし、お姉ちゃん、、お姉ちゃん。お姉ちゃん、、お姉ちゃん
お姉ちゃん お姉ちゃん(呼吸をして)お姉ちゃん、、お姉ちゃん、、お姉、、ちゃん、、お姉ちゃん(呼吸をして)お姉ちゃん、、お姉ちゃん、、」終りがなかった。
何日か過ぎ夜中の1時に電話に出たらこの前お姉ちゃん お姉ちゃん、、お姉ちゃんをしたあの声が

「しくしく!!しくしく!しくしく しくしく しくしく! しくしく、、しくしく!! しくしく しくしく!!(呼吸をして)しくしく!! しくしく、、しくしく(呼吸をして)しくしく!!」 何も喋らずに泣く演技をする。
この女は99年11月が終わるまで、つまり秋が始まって終わるまで夜中に電話をかけ泣く演技だけを担当した。
99年12月末から10日ほど怪電話がなかったが
2000年1月7日からはまた怪電話がしきりにかかってくる。
若い女が電話をかけて「もしもし、もしもし」と言って切ってしまう。
この日、3回このような電話がかかってきて、その後 一日も絶えずもっと多くなってくる。
2000年10月21日からは電話に出たらとにかく泣く演技をする。
午前、昼、夜、夜明け 1時、2時、3時 いつも、、、
2000年12月が終わるまで、その女は電話をかけ泣くふりをする。
JALはいろんな方法で、できるだけ私を苦しめて、あらゆる手段を使っている。

7<私の周辺を回っている古い紫色の車 髪の毛の長い女>
99年の晩秋、紫色の古い車が私の周辺を回っているのが目に入った。
私の遅い徒歩に合わせるために周辺をぐるぐる回りながらあとをつけている事が分かった。
次の日またその車が私のそばを通るとき車の中の運転席を見たら長いストレートの30才前後の女性だった。
雪が降ろうが、雨が降ろうが全国至る所すべて、私が行くところにはその紫色の古い車がついてくる。

2000年の秋、私の家から二時間以上もかかる(地下鉄とバスで)知人に
会いに行ったが、その古い紫色の車がそこまで遠征に来た。
私がその家にとどまる間その家の周辺に陣を張っている。
その家から出て、どこに行くにしても必ず通らなければいけない所で、、、

何週間か過ぎてからまたその知人のところに行ったが、その古い紫色の車がそこまで
出張に来てその場所で一日二十四時間、陣を張っている。
2000年が終わるまで私をついてきたその車が2001年、新年には
見つからなかった。あとで知ったが、その車が見つからなかったのではなく、
新車(白色)にかえて私の周辺を回っていたのである。
年末、新年を向かえてJALから功を認めてもらって褒美(新車)としてもらったのであろう。

8<公衆電話を使用する時現れる人々>
JALが盗聴しているため99年の秋からは公衆電話をたまに使用した。
はじめは家の回りの何台かだけを使用した。
ある日、私の後ろにバイクを停めて待っている30代の男を見た。
その人の視線が私に執着する。バイクに乗る人がどうして携帯電話がないのか、、、
その後、またその30代の男がバイクを停めて待つ。
私は電話を譲った。その人は遠慮する。でも譲った。
その人は番号を何度か押してみたが、結局電話をしないで行ってしまう。
この日も何か疑念を持った。

私が電話を使ったら私の後ろには必ず20~30代の一人か二人は必ず立って待っている。
携帯電話を首にぶら下げて、手に持って、、、節約しようとしているのかも知れない。
ずっと時間が過ぎてから分かった。
JAL組織が公衆電話の内容も全て知っていたことを、、、
私があるテストをしてみようとして、一度も電話をかけなかった人に初めて
その公衆電話を使用した。その相手の電話番号までJAL組織が知っているという事実を発見した。電話局と企んでいなければ絶対にできない。
その後、そのバイクの男が私の町の路地ごとに私をつき回っている事が分かった。
古い紫色の車のように、、、
何回も私に見つかって、私がその男を睨んでからは現れない。
選手交代だ。

9<99年9月16日JALのLee部長に会ってから家の前に見慣れない高級乗用車 朝から晩まで>
私の家からバス停、地下鉄の駅、タクシーに乗ろうが、インターネットカフェ、サウナ、銀行、市場など、、
どこに行くにしろ、とにかく細い道一本を渡ればならない。
99年9月16日 JALのLee部長に会ってから細い道に外部から来た高級乗用車が
朝現れて夜になって消える。
点滅灯がついているのを見たら、中に人がいるという気がした。
車の中が見えないガラスだ。
2000年末まで他の高級乗用車に2~3度変えながらその場所を守っていた。

2000年末からはその場所を守っていた乗用車が消え、少し後ろにトラックが
午前から晩まで止まっている。トラックがない日は中型乗用車が止まっている。
2003年7月引っ越しでその町を去るまで、、、

たまに以前住んでいた町に用事があって行ってみるとそのトラックも中型乗用車もない。
私がそのまちを去ってからその車らもその町から去ったようだ。

10<真昼に私の顔をデジタルカメラで撮って消える男>
2002年の夏、昼頃市場に行った。
買い物を終えて、50分ぐらい経ってから家の前の細い道を渡ろうとして立っていたら(高級乗用車が止まっていた場所)市場に行く時はなかった、初めて見る車が向かい側に止まっていた。
その車の中からカジュアル風の服装をした30代の男が出ながら、右手に持っていた小型デジタルカメラを自分の目にあてて私の顔に向かってシャッターを押して
車の中に入って細い道の方に運転して去る。

JAL組織があとをつけながら隠し撮りした写真だけでは不十分で
細い道の横断歩道で動かずに立っている私の正面からの顔を撮ったようである。

二ヶ月が過ぎた頃、私の家の周辺を歩いているとその茶色の車が細い道に入っていくのを見た。
JAL組織の合宿所が私の家の近くにあると思っていたが確実のようである。
その後2004年~2005年、最近も日曜日教会に行き来する時その茶色の車が教会の前に止まっているのを3回見た。


11<JAL組織、信仰人のふりをしながら教会 で最悪の発狂>
JALの便利屋の人らが2001年3月からは私についていつも入ってきたし、
2004年は1年間ずっとJALのお使い者の人々が蜂の群れのようにたくさん入ってきた。
そして彼らは2004年1年間、そして2005年になってからも彼らの最悪な狂乱が絶えずに続いている。
「空でも起きないことは、地上でも起きないのに、、、
どうしてこんなことがこの教会で起ったのか!!」と言って
15ヶ月くらいは牧師の説教時間というよりはJAL組織の狂乱であって
最悪な巨大JAL組織の発狂の日々であった。

12<99年10月 ヨンムン山に現れたJAL Lee部長が連れて来たことのある50代 男>
99年10月 奬忠洞(ジャンチュンドン)で同行者に会いバスに乗って山に行った。
山の周りの店の前に立っていたらワゴン型バスが到着する。
20代中盤~30代中盤の男女が数名降りる。
彼らは誰も登山服ではなく、みすぼらしい普段着を着ていた。
彼らは10~20分後ぐらいに消えて、、、
しばらくすると50代前半の男と60代前半の女性が一緒に来てお酒を飲む。
60代の女性は全然知らない顔で
50代の男性は9月にJALのLee部長が喫茶店に連れて来た人であった。
二人の男女はお酒をのみながら互いに何もしゃべらずにただ黙っている。
彼らは私の同行者と私にだけ焦点を合わせ、緊張した状態で我らの行動を注視する。
50代の男はわざと目を細くして見ながら、私が見ると目を閉じてしまう。
また目を細くして見ながら、私が見ると閉じてしまって、、、
60代の女性が我らにお酒を勧める。
我らは飲まなかった。
60代の女性が粘り強くしきりに我らにお酒を勧める。
我らは一切、口にせず拒んだ。
その女性は酔ったらしく急に店の主人に叫びとても大声でうるさく問い詰める。
その50代の男は(あら!こりゃ大変だ!!)「姉さん!!姉さん!!どうしたのですか!!!(お姉さんを連れて店を出ながら)姉さん!!こんなことしたらだめでしょう!!!
姉さん!!!早く行きましょう!!姉さん!姉さん!!姉さん!!!」
JALの脚本がその女性の口から出てしまったら大変だったので
口を塞いで早く連れて行かねばならない。
JALはその女性をクビにしただろう。
50代のその男は唖ではなかった。

13〈 2002.7月 不動産屋に現れたヨン厶ン山の50代の男 〉

2002.7月、新聞を見て電話で略図を調べた後、不動産屋に行った。
契約から残金を支払う日まで不動産屋と電話で数回連絡し合い、残金を支払う約束の時間に
不動産屋へ行ったら、ヨン厶ン山の50代の男が不動産屋の前の歩道に何人かの男たちと一緒に立っているのであった。
不動産屋の女職員二人とアパートの大家さん、私と同行した女性。
こうして五人が銀行で計算し、アパートの大家さんは忙しいと言い、年老いた女職員に
仕事の処理をまかせて先にいった。
アパートの大家さんに渡すお金を、小切手と現金で数えていた時、(その時千何百万ウォンを数えているのに)60歳くらいの女職員が「まずその金だけ渡して、残りは少し後にしてください。今ちょっと行って来るところがあるので。」と言うから
私は「いま全額を渡すか、後で一気に渡します」と言った。
(私はこの時、JALの脚本が始まると予感した)
その年老いた女職員は、かたくなに「まず今数えた金だけ渡してください、残りは帰ってきてからもらうから。」と言ったが、本人は頑固に拒絶した。
しょうがなかったのか、年老いた女職員は「じゃ、今全部渡してください」と言ったので、
私は最初から数え直して渡してあげた。
しかしその女職員はお金だけもらって、領収書を書かない。そこで本人が
「どうして領収書を書いてくれないんですか、領収書を書いてください。」
と言ったのだが、その年老いた女職員が「後で不動産屋に行って書いてあげます」と言う。
私と一緒に来た女性が「どうしてこの場で書かないで後にするんです。今書いてください。」
そう言い争っているので、デスクの銀行の女職員達が眺めていた。
年老いた女職員はその時になってやっと、カバンから領収書の紙を取り出し、もらった金額を書いてくれたのであった。
この年老いた女職員は先に行って、残りの若い女職員一人と他の銀行でまた計算をし、途中この女職員はトイレに行くと言って出ていった。
しばらくして戻って来ると、大げさに「あららら!!2百万ウォンが足りないみたいです!」と私に言った。
私が「何ですって?!」と言ったら、この若い女職員が
「今携帯で連絡がきたんですけど、2百万ウォン...いや、百万ウォンが足りないらしいです」と言う。
私は「いったい人をなんだと思ってこんなまねをするんですか!!」と言い
三人で急いでその年老いた女職員のいる不動産屋へ向かった。

年老いた女職員:「ここに来て数えてみたら、百万ウォンが足りないので、もう百万ウォン払ってください。」
本人:「こんな小細工に騙されると思ってるんですか!!」
私と一緒に行った女性:「とんでもないこと言わないで!お金数える時、四人で見守っていたのよ。」
このように言い争っている時、午前から不動産屋の前の歩道に立っていた、ヨン厶ン山の50代の男と何人かの男が入ってきて「何だ何だ!! 何なんだ!!! 警察を呼べ」と言うのであった。
年老いた女職員も「警察を呼びます!!」と言う。
呆れた本人が「今すぐ警察を呼んで! 呼ばないなら自分で呼びます、電話どこにあるの!」と言うと、男たちは瞬く間に出ていった。
年老いた女職員は私と同行した女性にいきなり
(毒気を含んだ言い方で)
「この尼! あんたの息子、呪われてしまえ!! この尼!!!」
「あんたの息子、必ず呪われるから今にみておけこの尼!!」と言う。
先に一度でも攻撃した後でこんなことを言われたなら、むしろましだと思う。
同行した女性も私もこの年老いた女職員とは初対面なのに、この女性に
息子がいるのをどうして知っていたのだろう?
この女性と私はとても密接な関係である。
JALは私に関わるすべての人にまで秘密裡に身元の調査をし、彼らの家族事項、
職業、居住地、年齢など...すみずみまで知りつくし、電話の内容まで知っていた。
この年老いた女職員を「ソンミの母さん」と呼んでいることからみても
あきらかに娘のいる女なのに、どうしてこんなことが言えるのだろうか...
JALの卑しい行跡が露になっている。
ヨン厶ン山の50代の男は、私が警察を呼ぶと言った時出ていった後、不動産屋に戻ってこなかった。

14〈 JAL関連ヨン厶ン山の50代の男、私の通っている教会に入堂する 〉

2004.3月、礼拝が終わって教会の食堂に行ったら、あのヨン厶ン山の50代の男が新入家族の座席に座って他に人たちと話をしていた。
男はしばらくしてから、座っている私を険しい目付きで見ながら横の通路を過ぎていった。
週報を調べたところこの男、「2004.1.4」登録と書いてあった。
京畿首都圏に居住する ソジョンテ
今日にしてやっと名字と名前と居住地がわかった。

私が2001.4月教会に登録した後、JALは緻密に計画をたてて、便利屋の人を教会に引き入れ(数百人)既存の教会の人と人間関係を築き、奉仕活動も熱心にやっていたのであった。
教会の人は数千人なので、JALは秘密裡に準備する期間が必要だった。

15〈 ソウル江南 ノボテルアンバサダーホテル 3泊4日投宿 〉

99年12月、彼氏から電話がきて、12月23日会うことにした。
二日後、JALの李部長から電話が来て、「JAL社長の手紙を持ってくるから12月23日に会おう」と言った。
JALの職員と二度目の出会いになる。
JAL本社のMr.Ariizumi、李部長、本人、通譯士の4人で朝鮮(チョソン)ホテルのコーヒーショップで会った。
この人たちと別れた後、私はタクシーに乗ってボーイフレンドに会いに行った。
ボーイフレンドと夕食を食べた後、ノボテルアンバサダーホテルに入って右側の売店で
糸ようじを買って、1階でエレベーターに乗った。
2階か3階かでエレベーターのドアが一度開いて、洋服姿の
50代の見知らぬ男が一人で丁重にエレベーターに乗る。
しばらくして左を見ると、その50代の男が私の左側の後ろにひとあし下がって、私を穴のあくほど
まじまじと見つめながらあざ笑っていた。
ボーイフレンドは私の右側にいて、この男が後ろでやっていることには気づいていなかった。
また左を見てみたが、男はそのままの状態で私をあざ笑いながら見ていた。
全く知らない男がホテルのエレベーター内で私をあざ笑っているので、私は呆れた。
この50代の男はエレベーターに残り、私たちは降りた。
3泊4日間鍵は常に私が持っていた。
二人で朝出かけて夕方一緒に部屋に入ってみると、鍵を預けたこともないのに掃除がされていた。

16〈 急変したJALの人たち 〉

99年 12月 23日
それ以来、JALソウル支店に電話したら「東京本社にしてくれ」
本社に電話したら、「ソウルにしてくれ」または、不在中だ。
そういうふうになすりつけあっていたが
2000.2.16、本社でMr.Ariizumiが電話をとり(英語で)
[私が今回だけ電話を受ける。ソウルで料金を負担しないと受けない。
私がソウルに二度行ったから今度はキ厶が日本に来い。
私が迎えに行く。
他に人と一緒に来ないで一人で来い。
お前に会うために韓国語を習っている。
他のところには手紙を書くな。今月中に私に手紙を書いてから来い。]
にやにやと笑いながら私を弄んでいた。
JALソウル支店の男女職員ソドンジュ、クムヒョスクを含めて悪口を言いまくり、
繭から糸がどくどくと出るように、JAL職員たちの口から糞があふれでた。
ヒョスク! あんなこと言う時、舌に麻痺症状はなかったのか!!

17〈 JALの組織、通信インターネット史上最悪の... 〉

2000.2月にホームページが完成したが、国内でしか表示されず、外国では見れない。
外国で表示されないように小細工したJALの卑しさを知った。
アカウントを移すことにして、私は何日間インターネットカフェに出勤した。
インターネットカフェで何日間作業していたら、知らない人からこんなEメールがきた。
Eメールの内容:〈何時間も車を乗って遠くの野原にきて、シャベルで穴を掘ったら、
砂ぼこりが舞い額に汗が流れる〉という
JALの組織がインターネットカフェまで付きまとって、ホームページを外国にも表示しようとするのを知ったからこんなEメールを送ったのだ。

18〈 JAL組織、空腹に猫要らずでも食ったように発狂 〉

2000.6.26、この日ホームページが開くやいなや、残酷で奇想天外な悪口で埋った
Eメール3つが続けざまに来た。(3つめに来たのはタンジの記者に送った)
Eメールの内容:〈 お前のポルノをお前のホームページにリンクするぞ
今の立場をわかっているのか? 探そうとしても幽霊idなので探せないはずだ 〉
アンチJALの文を書いていたハイテルプラザの掲示板が、この日から修羅場になり、
JAL組織がハエの群れのように押し寄せて私を攻撃し、総天然色の悪口で塗られたいろんな題名の文で私を精神病者、売春婦などと言いながら発狂していた。
組織の1チームは「ネット人たちは2m外に出ろ! 掲示板から2m外に!!」
題名ごとに2m外に出ろ!!と言ってネット人を追い出し、掲示板はポルノ性の文と
悪口で私を罵る他の組織の文で瞬く間に埋った。
組織はありとあらゆる名前で、兄弟を連想させる似たような名前で、毎日数十個の文を書き、ハエの群れのように押し寄せてきて会員加入した。
1週間後、私がまたアンチJALの文を書くためにインターネットカフェに行ったら、
組織はまだ掲示板で24時間交代で暴れていた。
彼らはまるで、空腹に猫要らずでも食ったように死に物狂いで発狂する姿だった。
この光景を見るに耐えなかったネット人がJALを非難したら、JALはその人たちまで一口で
飲み込んでしまう。
何週間がたっても何ヵ月がたっても、JAL組織の最悪の状態が続いた。

組織のオフラインの集まりがある度に、最高を記録していた私の文のヒット数が
がくんと落ちていた。(ヒット数1700~1900くらい)
JAL組織はまた、ネット人のなかで「えせ記者」を選び、
JAL乗務員たちの機内状況について、でたらめなことを書き、ネット人をだましている。何人もいるがその中で、ウォンドンホ、パクミョンギュ、カンソンゴン、イドンヒ、キムスヨン、キムスヒ、チェビョンウク、チェドンウクなど...
イジュソクという人はJALを弁護する専門家として私を完全にコーナーに追い詰めている。
パクミョンギュという人は掲示板の題名に「このヒルみたいな女め、お前売春婦だろう?お前日本人の現地妻だろう?」
職業公開して見ろよ。何で日本に行ってきたか公開してみろ。日本人に裏切られてJALの乗務員に腹いせする女」などなど...
これが題名で、内容をクリックしてみたら開いた口が塞がらないほどである。
タンジの記者がパクミョンギュにEメールを送って話してみたら、ニュージーランドに居住し、オファー商をやっていて、純粋なネット人と言ったらしい。純粋なネット人? 笑わせるものだ!
組織は7年間いろんな名前を使い、定期的に名前とidを変えながら活動している。
私はこの人たちの顔も、歳も、どこに住んでいるのかもわからない。
ウォンドンホはidがいくつもあり、イドンヒ、キムスヒ、キムスヨン、キムキョヨンの名前で掲示されたれた文を、一人がいろんな名前で移動させ、保管しているのを目撃した。
掲示番号はそのままで、名前と掲示物を移していた。
この人たちは私だけでなく、国内の両航空社までひっくるめて爆撃を加えた。
私がアンチJALをやってから、両航空社を非難する文が激増したんだが、すべて私を攻撃した名前だったので身の毛がよだった。
JALの指示なくしてそんなことができたのだろうか!!

19〈 JAL、売り上げが落ちたら私を告訴する? 〉

2000.7月末、JAL組織の発狂が長続きしている時、「JALにネット人の抗議電話が相次ぎ、JALの人たちを怪しげな眼差しで見ている」と李部長が記者に言った言葉だ。
インターネット史上、JAL組織の大暴れ事件がどれほどのものだったかネット人は知っている。
そんな大暴れが起きているときタンジの記者からインタビューの要請があった。
JALはインタビューの要請に応じないと言った。
JALが99.12月、ノボテルアンバサダーホテルと組んで、「えへん!」
「あんたの立場がわかってるのか?」とJAL組織が脅迫の文を送ってたりしてきたのに
JALが何が惜しくて急ぐだろうか!
JALに不利益があるかも知れないという記者の言葉に、JAL本社と議論して
ソウル支店長と部長イソクウォンが後でインタビューに応じた。
JALはインタビューで記者に「この問題、必ず仲裁してくれ。仲裁してくれたらありがたい」と言ったらしい。
JALは幾度も頭を下げて、お世辞を言いながら裏では全く違うことをしていた。
またJALは記者に「売り上げが落ちたらキムを告訴する」と力を入れて言ったらしい。
今までのJALの行跡が「これから売り上げが落ちることしか残っていない」ということを
よく知っているので、あんな口をきいていたのだ。

2000.9月、1次記事がでた。
JALをかばう文だった。私は呆気にとられた。
TV、新聞で見てきた「言論プレー」を実感した。
2000.10.30 記者の任意で一方的に2次記事がでた。
呆れるばかりである。


20〈 JALの李部長(えへん!)この問題、自然に解決されるぞ! 〉

2000.9.25 JALの李部長が何ヵ月かぶりに私の電話を受けた。
1、2次記事がでた後、さらに傲慢で生意気に変わっていた。
[日本国籍機は日本語しか使わない!! 韓国国籍機を使えばいいじゃないか!
この問題、時間が経てば自然に解決される。JAL本社から指示があれば連絡する]と言って切った。
わずか一ヶ月前まで、記者に「この問題、仲裁してくれ。仲裁してくれたらありがたい」と言った人である。
2000.10.2 JALの李部長が先に電話してきた。
冷たい言い方で「本社では指示もなく、何の連絡もない」と言う。
日が経てば経つほどJAL組織は、リアルなポルノ性の文で私を困らせた。
JAL組織はオンラインとオフライン両方で活動しながら私を追い詰めていた。
JALがしたことを隠しおおうために「一緒に部屋を使った男が~」と世論を集めていった。
この頃、知人があるインターネットのコミュニティーで「アンチJALの女と一緒に部屋を使った男がポルノをつくった。」という言葉を聞いた。
JAL組織がオンラインとオフラインでEメール、メッセージ、電話で..
あらゆるところに広めていた。

2001.3.26 李部長と最後の通話をした。
私に怒鳴るように
「今、飛行機の座席がなくて切符を売れないくらいだ。
TVニュースも見ないのか!!」と言う。
私が「記者にこの問題、仲裁してくれたらありがたいとか言ってなかったですか?」と言ったら
李部長いわく、「今は気が変わった」
JALは99.12月、武器をつくった後変わったのだ。
李部長が私に「弁護士を選任するか、でないならJALが弁護士を選任して三人で会おう」
と言ってきた。
私は「私が選任するが、タンジの記者を立会します」と言ったら
李部長は急に慌てて(ああ! うんこしてぇ~)次に連絡すると言いながら急に切ってしまった。
JALがポルノをつくって私を脅迫しているということを、私自身が(キ厶)充分知って知るということを、JALも知っていた。

つづく....


( 21 掲示板がJALお化けの舞台に )


2000.8月末、アンチJALのホームページに掲示板が作られた。
掲示板が作られるなり、JAL組織達が待っていたかのようにハエのごとく飛び付き、タグまで使ってピカピカとしたJALお化けの舞台にしてしまった。
全国にある精神科の写真を貼り付け、病院の住所や電話番号、名前を記入した。組織はネット人の振りをして英語、日本語のスレをたて、アメリカ名や日本名も登場させた。
JAL組織は毎日22時間ずつ見張り、(夜中の4時~6時までが組織の休憩)
私の掲示板にネット人がどんなスレをたてるのか、私がどんなことを晒すのかを監視した。
ネット人が眠る夜中の1時以後にはお化けの話し、半面顔女の話し、恐怖性の文等を書いてネット人が起きる時間に組織が削除する。
平謝りに謝ってもダメだ/移民したくなるぞ?/霧雨に衣濡れる/子孫代々呪いを受ける/東京の繁華街でお前のヌード写真を配ってやる/ホームページを閉鎖しなければ頭を鉄砲で打たれ死ぬぞ。それは2年後のことだろう/秘密は100年後500年後の死後が問題だ/(ゴホン!)時が経てば自然と解決するはずだ/お前の指を折ってやる/自殺しろ/自殺しない理由がわからない/もっと惨めになる前にホームページ閉鎖しろ/お前が知らせれば商売繁盛するのに知らせられるのか?/イ・*ウンは精神病者だ/お前の仕事が何なのか公開してみろ/お前質悪いな/娼婦だろ?/日本人の現地妻か?/お前のポルノをお前のホームページにリンクさせるぞ/このヒルめ気味悪い/俺はこんなことを専門的に解決する人間だ**事件も俺が解決した/会おう/何かを見ればはしゃぐはずだ/有利なのはこっちだぞなど。
JALに呪いを!


( 22 ネット人らJALに苦情電話、変人扱い )


2000.8月、JAL組織がアンチJALのスレをたてる掲示板をすべて占領し、すべてのコミュニティーを訪問しながら私を踏みいじった。
JAL組織内で討論チャットを開設して(班長:イ・ドンヒ)私に対する暴言などを自分達で話し合っていた。
割りばしをたたく人、なべをたたく人、洋銀製の器などJALの色んなタイプの人間どもが集まりありとあらゆる手を使っていた。
ネット人の目にJALがどう映っただろうか!
長い間、あの光景を見て、一体誰がJALに抗議の電話をかけないだろうか!一体誰がJALの人達を変な目で見ないだろうか!
JAL、彼らは作戦を変え始めた。
私が先に悪口を言って自分達も始めたかのように掲示板でぬれぎぬを着せ、公開謝罪を要求した。
抗議文を書き、顔も知らぬJAL組織から暴言を受けているのに公開謝罪とは!
パソコンもできない私がたまに抗議文を書くのも難しいのに毎日数百のJAL組織の文にどうやっていちいち対抗できるというのか!
JAL組織の大乱。パソコン史上、こんなことはどこにもなかっただろう。
JALに呪いを!


( 23 オフラインで忙しいJALの奴ら )


2000.9月の夜11時30分にインターネットカフェへ行こうと家の階段を下りてガラスの玄関ドアを開けると、見知らぬ男が私を見て素早く小路に隠れる。
何歩か歩いて後ろを振り向くとその男がまた顔を出して私を見たり隠れたりする。
あんな遅い時間に背広とワイシャツを着て正装靴をはいた姿はこの町の人ではない、外部から来たJALの奴らに間違いない。


( 24 JAL組織、照明技師と手を取って )


2000.9月、ピョンテッ市庁の前にある文芸会館を使おうとして半月前に家の電話(fax)で通話、予約申請書をfaxで取り交わした。
音響と特殊照明は使わないことにした。
その日始める時に舞台で2階を見上げると誰もいない透明なガラスボックスの照明室が見えた。
始まって少し経つと、照明室で騒々しく鉄筋の崩れる音が聞こえる。
中断して2階に向かって「静かにしてください」と言うと、
「はい」と静まる。
初めからやり直したんだけれどもまた鉄筋を流すうるさい音が聞こえる。
また「何でそこで雑音出しながら邪魔をするんですか!出て行ってください!」というと「はい」と静まる。
再び始めているとまたその音を出す。
「今すぐに出て行ってもらえませんか!今すぐですよ!」というと「はい」と静まる。また初めからやり直した。今度は少し長くもったがまたその音がする。
「何で出ずにすっと邪魔をするんですか!今すぐ出て行って!」というと「はい」と答えて止める。(返事だけは良い)
それから二時間が過ぎ、次の予約者が舞台を使おうとしていたから舞台を出た。
後で調べてみると照明室の男は文芸会館専属の音響、照明担当技師だった。
会館の管理者たちはその日その男があんなことをしていたのを全く知らなかった。
JAL組織があらかじめ電話を盗聴し、脚本を作って私の邪魔をした。
専属照明技師、その男もあきれたやつだなぁ

( 25 JAL、切迫な状況の癌患者家族を選び、利用する )

2000年末、教会に通う方を町で偶然知り合い、
2001.3月、新家族部を経て4月に登録した。
教会に通いはじめて3ヶ月が過ぎ(JALが3ヶ月も待っていた理由がある)
礼拝が終り同じ方向の教会同僚と話をしながら長く続く路地を歩きながら最後で左に曲がり、大通りを渡った。
渡った後で後ろをみると眼鏡をかけたあるおじさんが息をきらして左折し、いきなり見失った私をきょろきょろ探していた。
私はその瞬間あの男が教会を担当するJALのお使いだと考えた。
二人でしばらく歩いて振り向くと全然知らないその眼鏡をかけたおじさんが私の後ろに近づいて脇を上げて羽ばたきながらオシリを引いて身軽に(大きい図体で)私の遅い速度に合わせて昼間に道端でそんな姿を見せていた。
私が振り向くとその男はしていたことをやめて正常な態度で怒ったようにすばやく私たちの前を通りすぎた。
次の日、ハイテルプラザをみると数百個のJAL組織の非難の文の中にパク・ソンウクが書いた
題名: 昨日教会でそうめん食べた。
内容: 礼拝が終わって一対一弟子養育が終わって教会の食堂でそうめんを食べた。ご飯を食べるときもある。先週はサムゲタンが出た。お前らの教会もサムゲタン出るのか?
教会内部で私を追いかけながら私が何を食べて何を習うのかを監視していることをわかった。
JALはこうしてオン・オフラインでこの男を現し、こっちに気をとられている間に他のJAL組織が教会に大勢集まって密かに活動しているということを私が見破れないようにしていた。
先週、道でヘンテコな姿で私に「JAL関係者」申告式をした眼鏡の男が今週は教会の食堂で私の横の通路を通っている。
この男は私が一人でいるときは私に対して怖い目付きをしながら、私が他の人といるときは決して気振りを見せない。
私が他の人とちょっと親しいと思われるともっと怖い目付きをされる。
少し経ってこの男がある60代の田舎風の女性を連れて良く現れるが、JAL関連の仕事をさせようとするかのように私の前でいちゃつく。
2001.2002.2003こうして年月が経ってもこの男は教人とのあいさつはおろか、家族と一緒にいるところも見たことがない。
今まで私に、それも聖殿で、信仰生活をするところでJALに渡された武器で私を脅迫し、ストレスを与え続けた。
私が通信に書いた題名: 「50代後半の眼鏡をかけたハゲのおじさん」
(私は今まで(2003年)この男の名前も姓も知らなかった)
文の内容:「毎週日曜の午前はハゲのおじさんがアンアム洞担当なんすか?私を追い掛け続けて死んだら天国行きだな」と書いた。
何日後、その男が教会で私をみて我慢できないかのように一人でゲラゲラと笑い出す。通信に書いた文を直接読んだのか組織が知らせたのか・・・
私がこの男に何年も気をとられている間にJAL組織は各部署で教育を受けて活動し、牧師と有能な方との人間関係、信頼を築きながら信仰人の振りをしてJALの工作員として身を尽くしていた。


( 26 引っ越しても続くJALの尾行 )

2003.7月に引っ越した。
引っ越した日の夜、金物屋へ行ったが長い間道に迷った。
次の日、タンジの掲示板にJAL組織が書いた文の題名:「道に迷う」がある。
引っ越してくるなり買い物に出かけると何秒後には男子高校生が交代で追ってくる。
(その子たちは必ず家の横の遊び場で出発)
あれ、この子たち学校行かないの?・・・考えてみれば土曜日の午後、日曜日、夏休みだった。
次の日引き締まって顔の小さいその高校生が何秒かしないうちについて来るのを見て私がその子の後ろに行ってついて行った。
その子が足を止めて何秒間まごついた後で素早く逃げ出す。
(この生徒が眼鏡のハゲのおじさんの息子だということを後で知った)
3日後また顔の小さいその生徒がついてくる。
私が振り向いてその生徒の後ろに立った。その子がいきなり逃げた。遊び場に行って、ある人にその生徒がどこから来たのかを聞くと、遊び場から出たという。
引っ越してしばらくは10代の生徒たちが付きまとう。
2003.11月・・・15分間歩いて市場へ行った。市場周辺の公衆電話(コイン)を使っていると顔の小さいその生徒が分厚い灰色のジャケットに鞄を担いで私の横に立っている。下校してまもない様子だった。(遠くから遠征組織が運んでいるらしい)
途中でその生徒に電話を譲った。
その生徒はコインを入れずに(料金受信人払い)素早く番号を押して小さな声で、
「俺来たよ、10分前に来たよ、10分前に家に到着したんだ・・・」と言った。
私がその電話を10分前に使い、その生徒はここに来て10分が経つ。
まさか私がその暗号を知らないとでも言うのか!
JALのお使いは私が電話を使うとその電話機やその横の電話を使う。
電話の認証番号を知らせれば電話局で受信、発信、内容等を調べられるらしい。
11月の日曜日に教会が終わって一人でバスに乗った。
いくつか停車場が過ぎると顔の小さいあの生徒が灰色のジャケットを着て素手で私が乗っている車の中にいる。教会で組織の車でこの子を乗せ、いくつか停車場を過ぎてこのバスに乗らせたようだった。
2003.11月23日、礼拝が終わって投票しに2階に降りた。
50代の眼鏡の男が妻と一緒に出てきたところを私に見られると、妻はぱっと顔を壁に向け、椅子に座って私がとなりの人と談話をしている間に早々と出てしまった。
3年目で家族と一緒にいるところを初めて見た。
初めて見る妻が私への露出を拒むことから、夫の仕事を知っているんだろう。
来週、教会に出てみるとその妻と男子生徒が食券を持って並んでいる。
この時、この夫婦の息子だということを知った。
二人の母子が食事もせずに消えてしまった。
2004.新年にもらった手帳を見ると、その男が信任職分をもらった。
チョ・ジュンウンの写真の下に妻の名前のByoungがMyoungに間違って記録されている。
夫婦の親戚がこの教会に数十年も通っている人もいると知った。
どの教会でも礼拝題名1号は癌患者である。
JALが最上級の条件を備えた人間を探すために3ヶ月が過ぎた。
妻と息子が私にバレてからはその男が私を痛く睨みつける。そしてそんな自分を誰かに見られぬよう周辺に気を配る。
その男は頭にキャスケットをかぶり、マフラーをつけて・・・
以前の二年間は何も着なかったのに家族が自分にバレてからは外見に気をつけている。
この頃JAL李部長が連れてきたヨンムン山の不動産屋の男が教会に入堂する。
見掛けなかった卑しい女性たちが目立ち、組織らしき男たちがその女性たちを管理し、オフラインでも卑しい女性たちがついてくる。
JALは私が信仰生活をしている所まで組織を投入し、卑劣で悪辣な手を使っているが、必ずやJALに何らかの災難が訪れるだろう。


(27 極寒の冬、階段で震えてる20代の男 )
 
2001.1月、市場に行こうとして階段を下がっていたところ、外部から来た20代の見知らぬ男が階段の下でブルブル震えていた。(ふとJAL関連者かもしれないと思った)
私がその男を注意深く見つめるとその男はこっちの様子を見る。
ショッピングを終えて40~50分後、(暗くなる時間に)家の階段を上がっているとその男が今まで立っていて、先に私を見ると両目を大きく開けて驚く。
そんな男に私は感情を顔色に出さず「誰かお待ちですか」と聞くと、その男はこそこそと私の様子をうかがい、「・・あの・・複雑で・・考え事をしてるんです・・・」と言う。退勤の時間に合わせて多世帯が住んでいるこの建物に私の家を訪問する家族でもいるのか最終点検をしに来たと思えた。
階段で最終点検をした次の日からJAL組織は大胆なポルノ性文章で私の名前3文字を題名に入れて、薬でも飲んだかのように最悪の暴れっぷりを見せている。
その頃ネット人が「JALがポルノ事業もやってる」
「ポルノって儲かるのか」
「JALがホテルと共同で ポルノ ・・」等のスレが上がって来てから掲示板の管理者が文を全て削除した。

( 28 JAL組織らがアンチキリストアンチ教会運動を展開する )
 
 2001年3月。私が教会を通うことになってからアンチJALの文を書く掲示板ごとにJAL組織らが宗教の論争をするふりをしてアンチキリストアンチ教会の題名で強力に批判し、世論を駆り立てようとする。
 2004年。教会でJAL組織らが「よーい!トン!」といよいよ発狂し始めたとき、あやつらはいろんな掲示板でアンチキリストアンチ教会の文を投稿しながら本格的にこれを拡散させていった。
 この時、キリストのTVでさえも「最近、アンチキリストアンチ教会の文を多くのインターネット掲示板に書く組織の活動が確認されています。」と放送した。
 JALの一味だという事実も知らずに親北朝鮮勢力だと錯覚している。

 2004年、秋。インターネットで「アンチキリストアンチ教会」を検索してみたら数え切れないほどの意見が検索されたが、それらの意見は私が教会を通うことになった時期からのものであり、特に2004年度の増加といったらまさに雪崩れのような勢いであった。2004年には私が通っていた教会にはJALの組織によって「この世で起きたものとは思えないこと」が繰り広げられていたのだ。
 
 2004年、12月。私が掲示板に「アンチキリストアンチ教会について.....JALの組織がアンチJALである私宛ての....」という告発文を投稿した。
 この意見を投稿したあと、2週間が過ぎたあと再び検索してみたらあんなに多かったあやつらの意見がたったの幾つかを除いて、すべて削除されてなくなっていた。
 その「幾つか」の文書は普通のネット人が書いた文書であった。
 JALの組織は私が電話もしくは掲示板にどのような文書を書いたかに敏感に反応しながら、狡猾かつ小賢しい真似をしていたのだ。

( 29 携帯で私の顔写真を撮る若い女 )
 
2005年、2月。グンホアートホールで教会の人の誰かが公演をすることになったので、そこに参席した。
 そこについたら、観覧客の多くは我が教会の人達であった。
 公演が終り、下で簡単な食事を済ませていたが、(テーブルには私を含めて3人が座っていた。)訳あって私を除いた二人は束の間席をはずし、私一人が残ることになった。
 私の席の前にはこの講演の主人公と6~7名の若い女性教人が立っていたが、その中のある若い女性が私が一人で座っていた瞬間を捕捉し、携帯で私の顔写真をすばやく撮った。
 JALの組織に入り、私が通っていた教会にまで入会し、クリスチャンのふりまでしながら、公演場にまで来て主人公と親しみ合いながら、JALのしもべとして忠誠を尽くしている。
 JALは公演場にまで来て私の目の前で撮った写真をまた何処かで利用するつもりのようだ。

( 30 私の周りの人達と関連したアカウントで活動するJALの組織 )
 
私は2001年の3月から教会に通うことになり、その年の9月から区域礼拝に参席した。
 家から2~3分の距離にある、ある方のお住まいを頻繁に訪ねていた。
 その方はお住まいの一階を誰かに賃貸していて、その一階は何かのお店だったが、その店の名前が「紙飛行機」であった。
 その建物のとなりには<ニヌコ>という名の喫茶店があった。(今は主人と店の名前が変わったが)
 私は<ビニー>一家とずいぶん長い間、付き合っていた。 
 後で知り合うことになったある家族にも<ビニー>がいて、家の電話で一回話し合ったことがある。
 私の知り合いの中で<エリコ>という名前の外国人がいる。
 1999年の10月、私が<ヨンムン山>に行ったとき、JALの関連者が私に付いてきたことがあった。
 以下のJALの組織員達のアカウントは「お宅を監視しながら電話を盗聴していますよ」と知らせることに他ならない。
 <紙飛行機>キムスチャン
 <エリコラブ>ベクトゥサン
 <ヨンムン山>シングヒ
 <ニヌコ>イシヨン
 <ニヌコどぇ~す>チェカンシク
 <ビニーラブ>イムスンビン
 <ビニーラブ again>ホンジンオ
 ところが2004年のある日、私が家の電話で何処かに「このアカウントがすべて私と関係がある」と電話したあとからは、このアカウントを使用していたJALのネズミさん達が鼠穴に入ったまま出てこないのである。
 家の電話を盗聴しながら、JALの組織はずる賢い動きを見せているのだ。

( 31 JALのぱしり共が私に近づく )
 
2000年9月。夕方、サウナに行く途中に何となく左に振り向いたら20代半のみすぼらしいTシャツを着た男が肩がぶつかり合うほど近づき、ゆっくりと馴れ馴れしく歩いている。
 私が驚いて逃げながら後ろに振り向くと20代の男二人がケラケラと笑っている。
 
 2003年8月。辺りが暗くなり始めた頃。引っ越し先の近くにあるインターネットカフェに行く時、40代のスーツをカッコ良く着こなしている紳士が私の右腕が触れるほど近づいてまたゆっくりと馴れ馴れしく歩いている。
 私がその場を避けようとするや、私についてきながら近づこうとする。
 だから道辺にあるお店に入ってその男を避けることにした。  
 
 2004年9月の午後。バスを30分ほど乗って降りた後、サウナに向かって足を運んでいると、みすぼらしいカッコをした30代の男が私のそばに近づいて歩く。
 私が避けようとしたら、またケラケラと笑う。
 2005年5月24日。日本のあるサイトに告発文を投稿した日、夜に20代の男が私の首を締めたところがここである。
 
 2004年10月。サウナのあと、夜8時頃、バス停に立っていたら30代の汚らしい悪い男が私に近づき馴れ馴れしくうろついている。
 私が避けようとすると不敵な笑いを浮かべた。
 
 私がすその短い服を着てサウナに行くとき、インターネットカフェに行く道、その瞬間に男たちをそばで歩かせるJALはいったい何のためにこのようなことをさせているのだろう。

 ( 32 JALのハッカー共 )
 
 今まで何十個所のインターネットカフェに通った。
 どんなところ、どんな時間帯であろうと関わらず、JALのぱしり共が必ず後をつき密かに、または堂々と、隠さずに監視のまなざしを送っている。
 
 私の顔だけ見てそのまま出て行く。
 次の日、朝3時にいったが、私が入ったすこしあと昨日のその男が入ってきて、入り口の席で座っている私を見たらまたそのまま出ていく。
 次の日には朝の2時頃にいったが、この日もあの男がついてきて私の顔だけ見たらまたもや出ていく。
 その次の日の昼頃、他のインターネットカフェに行ったが、40代初盤の他の男二人が私の席の後ろで私のパソコンだけを見ながら大きい声で話し合っている。
 JALの組織員と知り、「この席、お使いになります?」と聞いたら使いませんよと答える。
 ずっと二人で教科書を読む小学生のようなぎごちない声でうるさく喋る。
 視線は私の席のコンピューターに止めたたままで.....
 「あそこに休憩室がありますけどね。どうしてここでうるさく喋っているんでしょうね。」といったら、聞こえないふりをしてしゃべり続けている。
 「本当、迷惑ですから会話は休憩室でしてくれます?」と怒鳴っても全くお構いなしである。 
 空いた席も多いのに、あくまでも私の席であのぎごちない芝居を演じている。
 私には彼らがJALの組織だとしか思えない。
 その次の日に同じ席でコンピューターを使っていたが、ハードディスクにあったファイルがすべてデリートされ、すべてのメールアカウントがハッキングされて、私のIDまでも使えないようになっていた。
 そのコンピューターにJALの組織の者共がハッキングウィルスを浸透させたのだ。
 アンチJALの活動を始めて7年目になるが、こんなことをされるのはもう百回を越えていると思う。
 
 ( 33 JAL関係の軍隊刈の強者達 )

 2002年3月。家で10分ぐらいバスに乗り、その後2分ぐらい歩いて郵便局に入った。
 郵便局で用事を済ましてその隣の病院がある建物に入った。
 この日、家をでてからいままではJALのぱしり共は見えなかったが、見えないからといって彼らが私の後を追っていないという事はない。(ここまでの経験で推してみると)
 病院のロビーで公衆電話でJALについて話しているとき、カジュアルルックスで軍隊刈をした体の大きな50代の男が病院に入ってきながら私をずっとにらみつき、近づいてくる。(私はJALの関係者であると直感で気付いた)
 私のとなりで携帯を首に吊しながら私を長い間飽きもせず睨みつけている。
 特別捜査要員、もしくは軍隊刈の強者達を雇うときは決ってJALが恐れるある重要なことをいろんな人に電話で知らせるとき、もしくは手紙で知らせるとき、とても重要な内容を翻訳するときなどであった。
 このような場合の彼らの反応ときたら、目に毒気を含み、敏感な反応で殺気まで帯びて息を荒々しく吐きながらKを睨み付けるのである。今にでも拳が飛んでくる勢いだ。
 Kはその顔を全部おぼえている。
 
 その後、2ヶ月ぐらいが過ぎたあと、私の住んでいる街の食料品店に入ったが、あの軍隊刈の男がその後入ってくる。
 私は一目で前のあの男だとわかった。
 空を向いていたあの短い髪の毛はそのあいだ一度も切ったことはないらしく、何とか押さえてパーマをしていた。
 この日はあのときのようなカジュアル姿ではなく、スーツを着ていた。
 JALと直接に関連がある捜査要員や関係者だと考えられる。
 いつもののみずぼらしいぱしり共とは明らかに違っていた。
 
 ( 34 JAL関係の便利屋と公衆電話 )

 JAL。彼らはKが住んでいるところの玄関と建物全体が良く見えるように監視カメラを設置し、Kの行動をすべてチェックし、すぐKを尾行する。
 KがアンチJAL活動を始めて以来、電話の盗聴から....家をでたらこんな人達が後を絶えず飽きもせずにつけてくる。
 あめの時も、雪の時も、昼でも、夜でも、夜中の2時でも3時でも、どんなときでも....
 Kは公衆電話を使用し始めた。公衆電話まで盗聴されていることがわかった。同じ電話機を2回以上使用したら通話の内容まで彼らは知っていたのだ。
 JALの事務所の人間は全く気付かないように隠れて尾行するか、それとも全くその気になってこっちに気付いてくれといわんばかりに尾行するかのどっちかを選ぶ。(尾行って不便でしょうね)
 何名かチームを成して一日に何度も選手交替である。
 いっぺんにオートバイは勿論のこと、車やトラック、自転車、冷凍トラックまでを何台も動員する。
 特別な要員を使うときは必ずJALがつくった「あの武器」に対しいろんな人に電話やメールを送り、翻訳の件にはもっと敏感な反応をみせる。
 彼らの歳は10代の高校生から70代のご老人までで何とも幅が広い。
 2004年からは4歳から6歳までの幼児を何名もつれて行動しながら家族のような雰囲気まで演出する様だ。

( 35 携帯の申請と解約の繰り返し )

 2003年3月の夜12時頃。インターネットカフェに行くために玄関をでた途端、後ろからある男が私の方に歩いてくる。
 遠く離れていたが、試しに私の携帯をとって番号を押してみた。
 そのあと後ろを振り向いたら、たったの何秒の間だったのに、この男は大至急私の方に歩いてくる。やっぱり。私は携帯のふたを閉じた。(手で画面を画しながら)
 近くで彼の顔をみたらアンチJALの一味で、何年もしつこく私につきまどっていたあの顔立ちの良い40代の男だった。
 この男はそのまま真っ直ぐ進み、私は右に曲がった。
 この男が直進したのでまた携帯のふたを開けてみたが、それを見た彼はまたいつのまにか方向を変え、急いで私の方へべったりと近づいてくる。
 また携帯のふたを閉じてあるきつづけた。ここでまた曲がり角が出てきたが、男はどっちに歩いたら良いのかと途方に暮れている。
 JALの組織は目的地があって歩くのではなく、私の行動によって動くのでJAL関係の用心棒であることはすぐわかる。
 次の日、掲示板にJALの組織が書いた文の題名が「あの携帯だめなんだ!抜け殻だ!」というのがあった。携帯の夜光機能が作動しなかったせいかな?二回ともに手でふさいでいたのに良くわかるものだ。
 実はその日、私は今使っている携帯ではなく、解約されている携帯を持って家を出たのだ。
 2001年の6月。ある文芸関連の行事に参席することになった。
 私の隣の席にある40代の丈夫な女性が連れもなしに素手で一人できて座る。
 私がその女性の顔をじっとみていたのにもかかわらず一度もこっちに振り向かなかった。
 2001年10月。家で7分ぐらい歩いて銀行に行った。順番待ちカードをとって待っていたんだが、6月に行事に現れたあの体の丈夫な女性が私のとなりに座る。
 鞄もなしに素手で順番待ちカードだけ持っている。
 あの女はすぐ携帯を手に取り、奇妙なジェスチャーで無言の演技をする。
 彼らの演技は不自然で、私にはすぐにわかる。
 彼らは私が他の携帯を持っているのではないか、それとも「すみません、携帯電話を使えないでしょうか」とも言うのかと思っているのだろうか。
 2002年5月。地下鉄に乗ってミョンドンのデパートに行くことになった。いろいろ見回ったあと、女性のランジェリーコーナーでショッピングをしていたら派手なYシャツにスーツを着た40歳ぐらいの男が私を凝視していた。私の回りをうろうろしながら、私だけを見つめていた。何十分もずっと....
 2002年10月。家からバスで30分ぐらいかかる市場に行った。
 5月に市内のデパートで現れたあの男が同じ服を着てまた姿を現した。魚屋の前だったが、私のとなりで自分の携帯で無言の芝居をやらかしている。
 携帯が地に当たるほど手で握って腰を下げたり上げたりしながら持ち上げたりして画面を見つめてまた見つめる。顔までしかめながら熱心に携帯を観察している。私が携帯を解約したときはJALの組織が必ず携帯で何かの芝居を演じる。
 私の携帯が解約されたことも神業のような素早さで勘づいたようだ。それはそうだ。何せ、盗聴をしているのだから....


( 36 JALの便利屋の人達 )
 
2003年6月。街でバスを40分ぐらい乗ったあと降りた。
 引っ越そうと思って、不動産屋で3~4時間ぐらいかけて適当なところを探っていたが、大路に出て公衆電話をかけていたが、軍隊刈のチェック模様の服を着たみすぼらしい40代の男が私の隣の電話ボックスにはいる。この人間どもは歩くのも、電話するのもうじ虫のことく、何を話しているのか分からないのだ。
人の群れ
 その日から3週間が過ぎた6月の末は、朝から蒸し暑かった。
 家の近くのバス停で立っていたが、複雑な人の群れの中に、20代のだらだらとした男が白いTシャツを着てバス停に立っていた。あの男の表情と言ったら尋常じゃなかった。この男に私の視線が向かったとたん、この男はすばやく顔を反対方向に振り向いた。バスを乗るためには左側をみていないとならないのに、反対方向に首を回したままずっと立っている。
 私が乗ろうとしたバスが来たので40分ぐらい乗ったあと降りた。
 パーマをして(二時間以上かかった)10分程を歩き食堂で食事を済まし、結構歩いて公衆電話に歩いていたが、朝のあの男が汗で背中がびっしょりと濡れた、すごく疲れている様子で私の周りをうろうろとしている。
 あの男の前には3週前のあのチェック模様の服を着た男が同じ服装でいっしょにうろついていた。
 私が公衆電話を使おうとしたらあの二人が私の後ろで待っている。
 私が先に使ってくださいと電話を譲ったら番号だけ押して通話はしない。そのまま出ていく。私がまた入って電話をかける振りをしてまた譲る。そしたら二人はそれを拒み、どこかに行ってしまった。私の目は本当に鋭く、多くの人の中でも正確にあのものたちを区別することができる。
 

( 37 JALの組織の横暴....キムスヨンの声が分かった )
 
2003年7月。とあるところに引っ越し、家の電話番号も変えた。
 しばらくはもう電話がなることはないだろう。
 電話の開通の2~3日あと電話に出たら私の声を確認するだけで、そのまま電話を切られた。
 その翌日も、またその翌日も。声の確認だけで電話を切ってしまう。
 1週間が過ぎたあとからは間違い電話の連続だった。
 2~3ヶ月の間このようなことが続けられる。
 JALの組織共めは男女交代で24時間、お構い無しに電話をかけてくる。
 
 2003年の9月。今月からは60歳ぐらいの、かすれた声が(女性)夜11時以後に電話してきて、「もしもし」という言葉もかけずに大声で痛哭し始める。
 「おーいおーい!しくしく!おーいおーい!しくしくしく!おーおいおい!」
 仕方なく電話を切ってしまったが、そしたらすぐにまたかけてくる。「おーいおーい!けほけほ!しくしく!!おーいおい!」
 この女ときたら必ず夜遅く登場し大声で泣き叫ぶのが何回目...
 次は泣き叫ぶのではなく、ケラケラと狂ったように息もせず笑い続ける。
 また電話が鳴り、挨拶もせずこの女がまた狂い始める。
 電話を切ったらすぐ電話がかかってきて、ヒャヒャヒャー!!ヒヒヒヒヒーハハハ!!ケケケケ!!
真夜中の11から暁の頃まで電話がかかってきて、笑ったり泣きさけんだりする。
 JALのやつらも本当にいろいろやってくれる!!
 しばらくしてもうそんな電話はかからなくなったが、無言で切ったり間違い電話がきたりして、揃いに揃って電話してくる。
 これらは決して間違い電話ではなく、JALの組織の脅かし、苛め、横暴の電話である。
 
 2004年12月の初旬。電話がかかってきた。30代後半のハスキーな声(女)が「もしもし」と言うので、「はい」、「もしもし?」「はい」「もしもし??」「はい!」そのあと電話が切られた。
 また電話が鳴り、「もしもし」「はい」「***さんのお宅ですか」あえて「はい」「さんですって?」「そうですよ」「***さんちがうじゃない!」と。
 私はJALの組織だと初めから知っていたので「一体何者なの!」と怒鳴ったらまた電話を切ってしまった。
 その女が言った名前は私が昔から良く知っていた人であった。その女性をアンチJAL活動をしているときにも知り合っていたし、お互いに何度か電話で連絡したこともあった。
 
 6日後、あのハスキーな声の女性がまた電話し、わたしが「もしもし」と言ったらその女が「お電話間違いました」と切ってしまう。
 この女の名前がキムスヨンであることが分かったのは2005年の3月であった。
 
 この日の昼に60歳ほどと思われるかすれた声の男が電話し「ホンさんのお宅ですか」と聞く。
 この声の男が2ヶ月前の10月にも電話し、「チャンキスですが、ホンさんのお宅じゃないですか」と聞くので「お電話間違いました」と言っておいたはずだった。
 
 その9日後、チャンキスという名前のあの男の声が電話し、いきなり「ちょっと、お宅の車早くどかしてくださいよ!」と怒鳴る。「何のことですか」と聞いたら「1855の番号、迷惑ですから早くきて車どかしてください!」と。
 
 「私は車持ってません!電話番号はどうやってわかったんですか!」と聞いたらその男ははっきりとしない声で「車のガラスにこの番号があったんですけど」
 「だれが私の電話番号を貼ったんですか?」と聞いたら「とにかくこの車早く退かしてくださいよ!」「私は車持ってませんっていったんじゃないですか!どうやって私の電話番号を知ったんですかって聞いてるじゃないですか!」また電話が切れてしまった。
 JALにひとこと言っておきたい。「気違い沙汰も程々にしなさい」と。
 
 ( 38 2000年、ハイテルのキムスヨンの声がおかしい )

 2004年12月。教会の新しい家族部に何ヵ月ぶりによってみたが、既存の奉仕者たちはいなくなっていて、新顔がたくさん見られた。
 その中に醜いほど厚化粧をし、超ミニスカートを履いた初めてみる40歳ぐらいの女がいたが、彼女は私を見た途端、目を逸して他の方向に顔を向けた。
 
 私はこの女に見覚えはないけど....自分の名前が書いてある名札をつけてここに訪問する人のための奉仕者として....只事ではないと思った。
 事務室の壁に貼ってある奉仕者たちの顔写真を見たら、2004年に入会した方と書いてあった。新しい信仰者が何名か奉仕者として新しく迎えられたらしい。
 そのなかに一人だけ独特なポーズで写真を撮った人の名前がキムスヨンだった。 
 その名前を見た瞬間、2000年、ハイテル(HITEL、韓国のpc通信サービス)で私がアンチJALの文を書いていた頃、私をポルノ性の文で攻撃したキムスヨントとキムスヒを思い出した。
 あの道の専門家のような、生き生きとしたことを姉妹の名前で毎日何十個も書きながらJALの組織とともに私を苦しませた女どもである。
 JALの組織員は何百名をのぼるが、各自が演じているキャラはみんな違う。
 教会の手帳にはきっと何か書いてあるかも知れないと思った。
 キムスヨンの家族欄にはキムスンヒがただ一人記入されているだけであった。
 「(キムスンヒじゃなくて絶対にキムスヒでしょうね)」と思った。
 あの女の妹の名前はキムスンヒではなくキムスヒであった。
 ハイテルは当時有料のサイトであったし、身上情報を正確に入力しないと加入することができなかった。しかし教会では名前を変えても誰も文句なんか言うはずがなかった。
 キムスヨン、あの女は本当熱心に信仰生活をするふりをして、奉仕の仕事にも熱心である。
 見ているとぞっと背中に寒いものを感じるぐらいに。
 
 2005年3月。新しい家族部の事務室でコーヒーを飲んでいたらキムスヨンが入ってきて、新しい奉仕者の一人と長い間喋っていた。
 何と驚くことに、あの声、あのハスキーな30代後半の声は....
 私に何回も電話で悪イタズラをし、***という人を尋ねたあの声の主人公がずばりきムスヨンということが分かったのだ。本当に鳥肌が立つ瞬間であった。
 
 2005年3月。通信に「JALの組織が教会にまで乱入し好き勝手にやっている」という題名の告発文にあの姉妹のことを書いて投稿した。
 その告発文を投稿した数日後、教会でキムスヨンに出会った瞬間に、この女は背の高い男の隣にに素早く隠れてあるきながら、顔は前を向けて目玉だけを横にずらし、キョロキョロと私を睨み付ける。
 そのキョロっとした眼差しはまるで毒蛇の舌舐めずりそのものであった。
 キムスヨンについて私が投稿した告発文を読んでみたようであった。 
 JALの組織が定期的に他人の名を盗用し、掲示板に陣取っているのに読んでいないはずがないだろう。
 JALは持病があるか、生活苦にあえぐ人を選択、雇用する。
 
( 39 JALの関係者たちの情報.... )
 
 数年間の間私につきまどう人の中には私に情報を流してくれる人もいたりする。一日どれぐらいの金をもらって、どんな仕事をし、どんな指示を受けるかなどについてだ。
 インターネットカフェでタイピングをしていたら男が一人入ってきた。
 私のコンピューターを見ながらJALに対する告発文を読んだら、あの男はウィルスを入れてハードディスクに保存されている私の告発文を消せよという指示を受けてきたと言い、逆に私にこんなことしてすまないと謝った。
 彼らがハッキングウィルスを浸透させる作業が終わるまで5分もかからないという。
 JALが今までたった1回でも雇用した人間を数えてみると物凄い人数であり、何年間の間何十度も常連として働く人も多い。 
 
 2005年5月。最近は毎日朝早くインターネットカフェを利用している。
 今日も午前6時にインターネットカフェを1時間ぐらい利用したあと、バスと地下鉄を乗り換えながら南大門(ナムデムン)市場に到着した。
 いろんな商店に入ってショッピングを楽しみ、服もいくつか買った。
 素手で、何も持っていない50代の女性が店に私のあとをついてはいって彷徨いていた。私が訪ねた全ての店に。
 南大門市場はその日、異常なほど閑散であり、店の中にお客さんといったらどの店も私とこの女くらいのものであった。
 そしてこの女は、バックもないことだから何も買わずにただ私についてくるだけである。
 ある店に入って値段の相談をしているとこの女はまた私のあとをついてきた。
 私がこの女をじっと見つめていると、あの女は急に外に出て階段を素早く上っていく。

 ( 40 ボールペンを欲しがるJALの男 )

2003年3月。家で歩いて3分のところにある「モーニンググローリー」というファンシーショップに寄り、ボールペンを3本買ってジャケットのポケットにいれたあと、5分ぐらい歩いて近くのインターネットカフェを利用することになった。
 しばらくして40代の顔の黒い知らない男が入ってきたが、表情と目付きから見て私は一目に彼がJALの走りであることを気づいた。
 私はカウンターの前の席に座り、コンピューターを使っていたが、男は急にわたしに「ボールペンをかしてくれ」と言いかけた。ボールペンはポケットの底に横になっていたが、敢えてわたしはボールペンは持っていないと言い返した。この男は目を大きくして可笑しいというような表情で(ボールペンを買うのを見たのに?といわんばかりに)また「ボールペン貸してください」と言いつける。
 私は依然としてボールペンなんか持ってないと言い張った。この男は呆気を取られた顔で(ボールペンを買うのをこの目で見たんだ!とでも言いたかったかも)「ボールペン持ってないって?」「はい、もってませんよ。あそこのカウンターにボールペンあるじゃないの。あれをお使いになったら」私がカフェーのバイトに「このお客さんボールペンが要るんだって。ボールペン貸してもらえません?」バイトは作業をやめてあの男にボールペンを渡したが、男はそれを受け取れずに自分の席に座ってしまった。
 男が私の前を通りすがるとき、私のアンチJALのホームページの住所を教え、今訪問してみたらいかがですかと聞いたらこの男は顔を歪ませ、いやな顔で何も答えない。私は再び住所を教えながら訪問することを勧めると、男はさらに歪んだ顔で何も答えなかった。
 男は自分の席に戻ったが、しばらくしたらまた私の席に来て、用事もないのに私の席の周りをうろつきながら、私のコンピューターに頻りと目を向ける。たまらなかったので電源を切り、精算しながらバイトの人に「あの男のお客さん、ここに来るのはじめてでしょう」と聞いたらそうだと答える。
 店から出て2分くらい歩いて、他の建物の2階に電話をかけていると、白いジャケットをきた30代の男が私の回りをうろうろしている。30代のこの男は自分の顔を懸命に隠そうとしている。アンチJAL活動をしているとき、この男の顔を見たおぼえがある。この男の耳は私の話す声にそばだてている。その電話を使用するようにも見えなかった。私がじっと見つめていたらこの男はそっとその場から消え去った。
 毎日の如く、家から外へ足を踏み出した瞬間からJALのぱしりどもの多彩な芝居を楽しむことができる。私が警察庁に行って苦情を話すと、何日間はおとなしくバイクや車で密かに私を尾行する。

( 41 私のホームページにJAL泥棒が... )

2000.6.26アンチJALのホームページが国内外で正常的 に接続できた時から、ある泥棒(JAL)がこっそりと入り日本語だけをちょこっと修正、削除してしまった。誰の仕業なのかを知って黙って復旧させておいたのをその泥棒がまたこっそり修正、削除した。
日本人が知ればJALが打撃を受ける内容のみを選んでインチキをする。
日本語の抗議文1、2次の重要な部分だけを選んで削除、修正した。
JAL泥棒め卑劣な手を使うな!

2005.3.16
アンチJALのホームページがを修正するために女子大の前で誰かと会い、インターネットカフェに行った。
女子大の前で待っていたとき、人混みの中でJAL関連便利屋の人と思われる男女がポツポツといた。(彼らの目付きと執着、周辺徘徊など)中でも特に外見が目立つ30代の男の人が頻繁に私の前を行ったり来たりする。私はインターネットカフェで二時間ほど後で出て、バスに乗って20分後家の前に降りたが、便利屋の男は乗用車を利用。私が降りた周辺で同時に降りる。便利屋の人は私が乗る車(バス、地下鉄)に一緒に乗ったり、乗用車で移動、駅二つ先で私の電車に乗ったり、最後まで乗用車とかバイクで追ってくる時もある。

( 42 JALがパソコン使いを至急求む )

2000年にJALを検索してみるとパソコンが上手な人を採用するという広告が出ていた。
月給八百何十万ウォンということだった。
国内でそれぐらいの給料ならパソコンハッキングはもちろん、パソコンを作っていじれる実力を持つ人だ。
掲示板で陣を張って私を攻撃しているJALの男女組織達のパソコン実力はすばらしい。
JAL組織が私に悪口をたたき、私がしたかのように私のID、名前、掲示番号に組織が書いた文を組み合わせて掲示板に堂々と書く。
その内容について知らせようとしてもスキャンをしたのか、ペーストができない。
何日か前にもキム・ハング(nolboo99)さんが私が悪口を言ったかのように特殊組合わせを使っていた(2005.6.14)


( 43 JAL兼子会長辞任とは... )

2001.11月、ネットでJALを検索するとJAL兼子社長がJASとの合併を推進するとの記事が出た。
日本で ANA, JAS, JALその他色々な航空社があるのに競争航空社一つをJALに合併し、大きくさせて競争社一つをなくせばJALのどんな仕業が世間に知られてもJALより大きい会社がないのだから売り上げが落ちることもなくなり...何かといろんな計算をしただろう。
2005年3月、JAL兼子会長が辞任し、5月には理事職も退けた。

第2部につづく....

投稿: 1JAL(日本航空) ポルノ事件 | 2006.10.11 21:54

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